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コンパクトクロスオーバーSUVで自分探しの旅に出る?



コンパクトクロスオーバーSUVで自分探しの旅に出る?

自分探し

(A) 毎日、決まったような作業、家事と買い物と送り迎えで無機的に時間が過ぎる。自分を見失いそうだ。ちょっと寄り道したい。

(B) 子供は学齢期に入った。子供の雑用までが回ってくるようになった。ちょっと息抜きがしたい。

(C) 子供の手が離れた。大学生、就職、今は家に居ない。雑用は減ったが、其れはぽっかり開いた穴になっただけだ。主人も子供も夢を追いかけているのに、自分は全て捨ててきてしまった。今からでも取り返したい。

(D) 結局結婚はしなかった。あれこれ考え迷っているうちに、全てが通り過ぎてしまった。好きなことをやってきたはずだが、踊らされていただけかも知れない。自分は本当は何をしたかったのだろう?。メディアに振り回されないで、もっと素朴に直向に世間の目を気にしないで自分らしいものをやってみたい。

(E) 結婚はしたけど結婚のための結婚だったかも知れない。直ぐ分かれた。

おいおい、自分探しって負け犬のことなの?どうして幸福じゃないの?

いやいや、十分幸福だったのだ。気付くまでは。心と身体にずれが出来るのは人生では誰でもあることだ。心を置いてけ堀にして身体が外部社会に適応していく。

ところが、

社会は年齢や家族や仕事やそういうもので求めるものを次々に変えるが、最後はドアを閉める。ゼロ転落。

身体は心のところへ戻っていっていいのだが、そう簡単には戻れない。昔捨てたものを拾ったとしても、心の充実はない。逆効果だ。今は昔じゃない。

新しい社会、新しい社会との係わり合い方。貧乏人は自分を養う、家族を養うために働き続けるので自分探しは無縁。



真面目に不器用に一所懸命に生きる人は、躁うつ病になりやすい。責任感も強い。暗示に弱い。社会(会社?)に適応できなくなると躁うつ病。社会人あるいは会社人間として問題だから病気の扱い。

そううつ病にならないで定年を迎えたりすると、自分探し病(=自己喪失病)に掛かる。主婦も同じ。子供が手を離れるとか、夫が勤めを終えるなどすると、今までの緊張要因が取り除かれ、心に穴が開く。

真面目で受身のスタンスの人は危ない。




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